karuna's story

高機能自閉症スペクトラム。感覚過敏。欧州育ち。サードカルチャーキッズ。シャーマン。カードインスピレーション。夢使い。

どこで枠をきめるか


ずっと、
ここ数年、息子との生活のために突っ走ってきた。
と、認識してきた。

だから、自分のことは後回しにしたし、息子のことを考えると、えいやっ!って踏ん張れた。

息子が思春期に入り、少しづつ子離れしてきた。前のように、そばにいてあげるよりも、一人にしてあげることが必要になってきた。
手もかからなくなってきた。

もちろん、他の心配ごとは増えるんだけど。

いろんなことが落ち着いてきて、当時必死だったところが少し余裕がでてきた。

そして、気づけば、鬱っぽい。

何もする気にならない。
気持ちが暗く、落ちてゆく。

「これまで大変だったから、その疲れがでてきたのだ。」
「これまでは何も感じることは許されず、やっと状況が落ち着いて、疲れを感じるようになってきたのではないか。」

そんな解釈をされて、自分でもそうかもしれないと思っていた。

確かに過去の7年間は怒涛のような毎日だった。体力的にも疲れていて、何もやる気にならないし、夜はなんとなく眠れない。
でもいつでも眠れそうに眠いのはずっと続いてる。

困ったもんだと思っていたら、昨日ふと言葉のフレーミングの罠に気づいた。

まるで、息子のために自分の人生を譲ってきたかのような、わくを作り、意味付けしてきたけど、そうしたかったのは私じゃないか。
そして、大変ながらも、それはやることがあったし、退屈しなかったし、大変だけど思ってるよりもあの日々は充実していたのかもしれない。

今はそれがなくなってきていて、そういう意味での鬱や喪失感なのではないだろうか。

その方が感覚的にはフィットしている。

ほぼ同じなんだけど、リアリティーは全く違うフレーミングをもつ。

前者は、子育ての犠牲になっていて、(少し極端だけど)その被害者の私。
後者は、大変だったけど、子離れという大きな変化にとまどい、必要とさ!なくなったことに失落している私。

いずれにしても鬱っぽいのだけど、このレンズを変えたかのような認識の違いは今ここにいる私に全く異なる方向性をみせてくれる。

どちらもあるんだろうけどね。